TOP > 静フィルの歩み 飛躍期 1979-1986

静フィルの歩み

飛躍期

この第2回定演のあと、 テレビ静岡様より頂いた話は、 「ゴールドブレンドコンサート」 への出演依頼で、 これが石丸寛先生との出会いとなり、 静フィルにとって大きな成長をもたらすことなったのである。

石丸先生は、欧米にくらべてオーケストラが少なく、しかも大都市圈に集中している日本の音楽事情を憂い、 地方のどこでも "安い料金で、しかも質の高い音楽を"提供できるように、アマチュアオーケストラの育成をライフワークにしようと立ち上がられた。

この提唱に日本ネッスルと各地方のテレビ局がスポンサーとなって、 1973年から全国的に展開されたのが「ゴールドブレンドコンサート」であった。

創立して間もない静フィルにとって、 石丸先生の熱い指導が受けられる機会に恵まれたことは幸いであった。

「音楽にプロもアマもない」 というのが口癖であった先生の指導は、厳しくも暖かさに溢れ本物の音楽を表現するまで、 妥協を許さないものであった。また、地域の音楽文化の普及向上に、オーケストラが果たすべき社会的な使命についても折に触れて説き、 オーケストラ運営の指針を与えて下さったのである。

1979年11月24日、 静フィルにとって最初のゴールドブレンドコンサートは、 浜松交響楽団との合同公演であった。 大編成で取り組んだチャイコフスキーの交響曲第5番の演奏は、 完成間もない静岡市民文化会館大ホールに満員の観客を興奮させ、 大成功を収めた。 静フィルにとって、 新たなオーケストラの醍醐味を味わった瞬間であった。

この成功により、翌1980年のゴールド・ブレンドでは、静フィル単独でべルリオーズの「幻想交響曲」に挑戦し、 大成功を収めた。 その翌1981 年にはドヴォルザークの 「新世界より」、 そして翌年の1982年にはゴールド・ブレンド100回記念コンサートとなり、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」を市内の合唱団と共に熱演し、喝采を浴びた。1983年にはベートーヴェンの交響曲第9番 「合唱付き」 という具合に、 このコンサートは年中行事化して、 地域に多くのファンを持つ行事になっていったのである。

 これにより静フィルもオーケストラとして年々大きくなり、実力も備わっていったのであるが、 これが正に石丸寛先生の願いと努力が結実したものであるといえよう。

創立4年目の1980年の第3回定期演奏会では、 指揮者に尾高忠明氏、客演ピアニストには内田俊先生の推薦により中島和彦氏 (桐朋学園大学) をお招きし、 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とブラームスの交響曲第1番を好演、成功を収めることができた。 ここに3段目のロケットは成功し、 静フィルは軌道に乗った。

更に特筆すべきことは、 この年にこうした静フィルの演奏活動を見た静岡青年会議所(静岡 J C)の役員(辻氏、小山氏)が静フィルを訪ね、"地域の子ども達に豊かな環境づくり" という当年度のテーマにぴったりの全体事業として、 静フィルによるコンサートを一緒にやりたいとの申し入れを下さった。

 静フィルも即座にこれを受け入れ、 指揮者に石丸先生をお願いした。

先生も「地域の経済文化を担う J Cとオーケストラが、このような企画を立てたことは素晴らしいことだ。」 と意気に感じて下さり、 両者の委員達と共に幾晩もプログラムを練り上げ、 そして熱のこもった指導をして下さった。

こうして8月12日に開催された第1回"フレッシュコンサート・心に感動を!" は、 熱意ある静岡青年会議所のメンバー総動員による運営効果もあり、 ファミリーを中心とした満員の聴衆と、主催者双方を感動の渦に巻き込んだのである。

 この感激と、 石丸寛先生の "フレッシュよ永遠なれ" のメッセージもあり、静岡 J Cは、それまでの全体事業が単年度毎の企画経緯がありながら、 "フレッシュコンサードは特例として、 翌年も開催するという展開となったのだった。 第2回フレッシュコンサート"心に感動を!"第2弾も大成功し、 翌年の3回目はテーマを "弾んでいるから生きている"に変え、4回目は"新鮮オーケストラ体験"のテーマの下、100人以上の子供達が、 家から持参した楽器を持って舞台に飛び入り参加し、演奏に加わるなど、 毎年新たな企画が盛り込まれて成功を続け、 石丸先生のメッセージ通り、 以後10年以上も開催される、 静フィルとしても主要な事業の一つとなっていったのである。

そして、 創立10年目に入った1986年、 今度は静フィルに海外公演のチャンスが巡ってきた。 石丸先生の友人、 中国の中江大使から、 「今年は中国の国際交流年であることから、 日本からも文化使節としてオーケストラを派遣して欲しい。」という依頼があり、 石丸先生は静フィルを率いて、 この年の8月12 日から1週間かけて北京と杭州市を訪問し、親善公演を挙行することになった。

 この公演に対し、静岡の文化・教育・経済界の関係者で「中国公演を成功させる会」 が結成され、 当時、 県の文化協会会長であった江崎千萬人氏が会長となり、 後押しをして下さった。 加えて友好関係にあった静岡 J Cも組織的に動き、 物心両面の協力をして下さった。

当時の静岡市長の河合代悟氏と、 静岡商工会議所会頭の川井祐一氏が訪中使節団長となって同行して下さったことから、 静フィル親善使節団は両市において熱烈な歓迎を受け、 親善公演も大成功を収めた。 これが記念すべき第1回の海外公演となった。

翌年の1987年、 静フィルは、 "長年にわたり文化的な業績を挙げ、 今後更に活躍が期待される個人や団体" に贈られる、 「静岡県文化奨励賞」を受賞した。